NieR:Automataとごんぎつね

去年のこの時期あたり、NieR:Automataをプレイしていた。プレイ後はまあどこか発散できるところがあればと思っていたのだが、この前NieR:Automataの話をして、少し盛り上がったので約1年越しにようやく発散してみようと思う。ただ、繰り返しにはなるが1年越しの発散なので、もしかしたら読み間違えている箇所もあるかもしれない。あと論文みたいなもんでもないのでガチで書くつもりはない。そこはご愛嬌というか、あたたかく指摘してもらえるとありがたい。

 単刀直入に、僕にとって『NieR:Automata』は『ごんぎつね』になりきれれなかった作品、もしくはなりきらなかったというのがすごくざっくりとした印象になる。 (保険をかけておきたいのだが、僕はめちゃくちゃNieR:Automataはおもしろかったと思っているし、好きな作品のひとつだ)

 では、どこがどう『ごんぎつね』的で、『ごんぎつね』的ではないのか。
 まず、僕がごんぎつね的だと言っている時系列はクライマックスの2BがA2に殺された(殺してもらった)より後のことだ。このクライマックス直前で、前述したようにA2はウイルスに感染した2Bを殺した。この時点で、A2と9Sの関係性(構造)は、ごんぎつね的関係性(構造)になる。
 今一度、小学生に立ち返り、ごんぎつねと言う物語を思い出して欲しい。

ごんは兵十の母を間接的に殺し、そのことを悔いて兵十に栗を届けるようにする。一方兵十は母を殺したごんを憎み、最後ごんを殺すが、ごんが償いとして栗を届けていたという事実を兵十は知って後悔する。

めちゃくちゃざっくりいうとこんな感じだ。このごんぎつねの構造を、NieR:Automataと比較しよう。以下に図解した。(今どき手書きかよとは自分でも思う

A2が9Sに対して、どういった感情を抱いていたのかはわからない。A2ルートの行動も9Sの償い的要素はあったのか、正直はっきりは覚えていない。しかし、かなりごんぎつね的構造に近いとは言えるだろう。
 構造だけでなく細かい点で言えば、A2は2Bを「殺してあげた」形になる。これは2Bを思う9Sにとっては感謝してもおかしくない。また、ごんが兵十に栗を届ける償いのもつ意味は、もう少し抽象的に解釈すると「兵十に対するプラスの行為」と解釈可能だ。すなわち、A2が2Bを殺すという行為は、殺す殺されるの関係だけでなく、「9Sへのプラスの行為」を包含しているとも言えなくもない(ちょっと無理やりだが)。さらに言えば、9Sと兵十が最終的にA2およびごんを殺すのは、自分に対するプラスの行為——2Bを"殺してあげた"という事実、栗を届けるという事実——があったことを知らなかったからでもある。

 さて、僕の文章力が災いして大変わかりにくくなってきたので、そろそろ締めたい。結局、NieR:Automataでは上記のごんぎつね的構造は崩壊する。9SとA2は殺しあうし、どうやら9SはA2が2Bを"殺してあげた"事実もA2を殺す前にはすでに知っていたように思える。そのため、ごんを殺した後に事実に気づいて後悔する兵十と、事実を知った上でA2を殺す9Sをイコールで繋げることが難しくなるだろう

 最後に論文ではないし個人的な感想なので好き勝手に言わせてもらうと、僕は「2Bが殺してくれとA2に頼み、A2は2Bを殺してあげ、その事実を全く知らないまま9SはA2を殺し、最後その事実に気づいた9Sが発狂する」という物語によって生まれるごんぎつね的カタルシスを求めてしまった。そのため、9Sがクライマックスの丸ごと発狂してしまった物語は、求めていたものよりもカタルシスや感情移入がなかった。このNieR:Automataとごんぎつねの間テクスト性みたいな観点から、テクスト論的2つを比較すると面白い解釈も出てくるではないかと思っている。それは後日かけたらいいが。後UIもすごく良かったので、それも少し書きたい。とまあ色々書いたわけだが、NieR:Automataはすごくおもしろかったし、何よりA2が可愛かった。A2最高!!